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埴原和郎の二重構造モデル論文発表30周年記念公開シンポジウム開催しました。

日時
2021年11月28日 (日)  

 2021年11月28日 

埴原和郎の二重構造モデル論文発表30周年記念公開シンポジウム開催
 
標記シンポジウムを開催し、100名以上の方に聴講していただきました。ありがとうございます。最後にひとつチャットで以下のご質問がありましたが、時間がなかったので、そのときには対応できませんでした。あとで長田直樹先生から回答を送っていただいたので、ここにしめします。
 
チャットでのご質問:
遡って、長田直樹さんのご講演の件ですが、篠田さんのご講演の図で、弥生中期の青谷上寺地遺跡の人骨は、現代日本人の範囲に入るというお話しでしたが、そうだとすると、古墳時代の大量流入前に現代日本人は成立していたようにも思えるんですが、これはどう考えればよいでしょうか。
 
長田直樹先生からの回答:
篠田先生の発表通り,これまで調べられた弥生時代人は,現代本土日本人(ヤマト人)の範疇に入る縄文成分をもっているものか,より縄文的なものばかりです。しかし,同時期には東北地方などを含め多くの縄文系弥生人が多数いただろうということも推測できます。また,遺伝的に縄文系の人々であっても農耕を受け入れて人口は増加します。これらの人々との融合が進んだ結果現代ヤマト人の遺伝的特徴が構成されているとすれば,ヤマト人はより縄文的であってもよさそうなものです。したがって,篠田先生の発表の結論は,弥生期以降,多くの渡来民(大陸系の遺伝的特徴をもった人々)がさらに追加で来たことを想定しないと説明できないということになります。これは私の発表結果と同じことを示しています。ただし,私が2段階成長モデルで出した500年で300万人という推定値は相当ドラスティックな値であり,人口推定値の正確性やモデルの妥当性など,今後慎重に吟味していく必要があるかと思います。